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名古屋地方裁判所 昭和35年(ヨ)333号 決定 1960年10月10日

申請人 伊藤美恵子

被申請人 倉敷紡績株式会社

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

理由

第一、当事者双方の申立

申請人は「申請人が被申請人を相手どり追つて提起する労働契約存在確認の訴の本案判決確定に至る迄仮りに被申請会社安城工場の従業員であることを確認する。被申請人はその安城工場に申請人を就労させなければならない。訴訟費用は被申請人の負担とする」旨の裁判を求め、被申請人は主文同旨の裁判を求めた。

第二、当事者双方の主張

一、申請の理由

(一)  申請人は昭和三二年三月島根県簸川郡佐田村窪田中学校を卒業すると共に被申請会社安城工場の従業員に採用されて今日に至つている。

(二)  昭和三五年二月一一日申請人の父伊藤功(島根県簸川郡佐田村毛津在住)から突然至急帰郷するようにとの電報を受け取つたが、それより先工場の同僚である申請外水谷和子が同様国元からの電報で帰郷したところ、被申請会社の職員に「共産党と関係しているから」という口実で退職を強要されたとの事実を聞いていたので帰郷を見合わせていたところ、翌日再度「スグカエレ」との電報を受け取つたが、申請人は依然帰郷しなかつた。

(三)  それで同月一三日申請外伊藤功は被申請会社島根出張所長上山某と共に安城市へ来て申請人に対し「会社の方ではやめて欲しいと言つているから退社した方がよい。今のまゝ働いていても毎日睨まれていなければならないから親としても遠いところで毎日心配だから退社して呉れ」と懇願し、尚上山某も会社では申請人を使う気は全然ないから退社したらどうかと勧奨した。之に対し申請人は頑強に退社しなければならないような悪いことはしたことがないから退社はしないと言い張つたが、父の懇願に負けて一先ず帰郷することになり、被申請会社に外泊証と休暇届(同月一五日から二〇日迄)を出した上、同月一五日帰省した。

(四)  帰省後申請外伊藤功は連日退社を強要し、休暇期限が切迫するのに拘らず外出を許さないので、同月一八日無断で家を出たが親戚の者に連れ戻され、更に三月三日に至つて再度家族に黙つて安城へ帰るべく家を飛び出したけれども捜査願によつて保護され、連れ戻されるに至つた。

(五)  右のように申請人に退社する意思がないので、申請外伊藤功は恣に申請人名義の同月九日付退社届を作成した上之を被申請人に提出し、之が同月四日又は五日に被申請人安城工場へ送付されて之に基き被申請人は申請人本人の意思による退職願として依願退社の手続をとり、申請人の荷物、退職金、貯金通帳等を父親の指示通り国元へ送付した。

(六)  しかし前記退職届については申請人は何ら関与していない。退職願には申請人の氏名が記入され、押印も為されているけれども、之は申請外伊藤功が勝手に記入押印した偽造のものであつて何ら申請人の意思に基くものでなく当然に無効のものであるから、申請人は被申請人から依願退職の取扱を受ける理由はない。

又右退職願には保証人として父伊藤功の署名押印があるけれども労働契約の終了に当つて親権者等が未成年者の同意により未成年者に代つて労働契約を解除することの許されないことは労働基準法第五八条から言つても当然のことであるから申請人の同意の有無、申請外伊藤功の私文書偽造について論ずる迄もなく前記退職願は無効のものであつて、之に基く労働契約の解除も効力を発生しないものである。

(七)  申請人は追つて労働契約存在確認の訴を提起せんとするものであるが申請人は被申請会社において働く以外に希望もなく、故郷を遠く離れている現在の安城市においては生活を維持するにも不安と困難とが予想され生命の危険すら感じているので本申請に及ぶ。尚申請人の訴訟能力について、申請人が未成年者であることは認めるけれども、申請人は民事訴訟法第四九条、労働基準法第五八条等により訴訟能力を有するものであるから被申請人の主張は失当である。

二、被申請人の答弁

(一)  本件申請は不適法である。即ち申請人は昭和一六年一〇月一八日生れであるから現在は未成年者であるが、労働基準法第五九条による賃金請求に関する訴訟行為は格別、労使間に解雇の効力につき争がある場合に地位存在確認の本訴を提起し、又は之に付随する仮処分を申請する如きは労働基準法第五九条の解釈上未成年労働者に対し例外的に認められる訴訟行為能力の範囲外にあるとせざるを得ないし、又民法第八二三条に言う「職業」と、同法第六条第一項に言う「営業」とはその概念が異つているものであるから、本件について民法第六条第一項により行為能力を与えられ、民事訴訟法第四九条但書による訴訟能力を付与されたものとは言い難い。更に弁論乃至審尋の全趣旨を通じても法定代理人たる親権者の追認による治癒ということも考えられないから、孰れにしても申請人自らが訴訟行為能力を有するものであるとの前提に立つて訴訟代理人を自ら選任して為した本件申請は民事訴訟法上許されない。

(二)  申請の理由(一)について申請人が曽て被申請人安城工場の従業員であつたことは認めるが申請人の父訴外伊藤功を保証人として申請人の記名押印のある昭和三五年三月七日付退職願の提出があつたので之に基き被申請会社は依願退職者として扱つたのであるから同日以後申請人は被申請会社の従業員ではない。

(三)  申請の理由(五)(六)の主張について申請人が右退職願に全然関与していないとの点は否認する。申請人の父伊藤功作成の疏乙第三号証の一によれば、同人において申請人自身の意向を確めたところ申請人は退社を承諾したものであるが、申請人はその同志と父親との板ばさみの苦境に悩み殆んど一日中泣き通して本人の記名押印することができなかつたため申請外伊藤功において申請人の同意を得た上、右退職願を代書し、これに代印したものであつて、かくの如き代書代印は通常行なわれている慣行であるから本件退職願は有効なものである。

(四)  仮りに本件退職願が申請人自身の意思に基かないものであつたとしても、之を作成したものは申請人の親権者たる父申請外伊藤功であつて労働基準法第五八条第二項により不利な労働契約を将来にむかつて解除することができる権限を与えられているのであるから本件退職願は申請外伊藤功において右権限を行使したものであつて、之に基く依願退社手続は有効である。

(五)  更に本件申請について必要性が認められない。未成年者である申請人としては郷里に帰つて親権者の居所指定に従えば生活に事欠くことはあるまじく、又何故安城市で生活しなけれはならないのか何らの疏明もなされていないから仮処分はその必要性がない。

第三、疎明<省略>

第四、当裁判所の判断

先ず申請人の訴訟能力につき判断する。

申請人が昭和一六年一〇月一八日に出生し、現在未成年者であることは当事者間に争がない。そして本件記録に編綴された申請人作成の委任状の記載によれば申請人自ら弁護士大矢和徳他一名に委任して本件仮処分申請を為したことが明らかである。

ところで未成年者等の行為無能力者の訴訟能力については民事訴訟法第四九条に規定されているところであるが、原則としては無能力者とされ、例外的に未成年者が独立して法律行為をなすことができる場合に限り訴訟能力が認められているのである。そこで労働関係につき未成年者に訴訟能力を認められる場合があるかどうかを考えるのにに労働基準法第五九条は親権者又は後見人が未成年者の賃金を代つて受け取ることを禁止すると共に未成年者が独立して賃金を請求することができる旨を規定している。

その規定の趣旨は親権者又は後見人が法定代理権を濫用して未成年者の受くべき賃金を自己に領得し、未成年者にはただ労務に服させるという幣害を除去し、未成年者と雖も自己の労働により得た所産は当該労務者の所得となし未成年者本人においてのみ使用者に対し賃金を請求する権利を有することを認めたものである。

この規定の趣旨を貫徹するためには未成年者において使用者に対し事実上賃金を請求してもその目的を達しないときは独立して賃金請求の訴訟を提起することができるものと解するを相当とする。

そこで進んで未成年労働者の労働契約の解除或いはその存続態様等につき労使間に紛争がある場合労働者自ら使用者に対し訴訟を提起し、之に附随して仮処分命令等の申請を為し得るかについては、労働基準法等にこれを認めた規定のないこと、前記労働基準法第五九条は賃金請求についてのみ許容せられた例外的規定と解されることから考えて之は許されないものと解すべきである。尤も労働基準法第五八条第一項は親権者又は後見人が未成年者に代つて労働契約を締結することを禁じているから未成年者は親権者又は後見人の同意を得て自ら労働契約を締結するの外はないがこのことから直ちに未成年者は独立に労働契約を解除することができ、惹いて解除に関する紛争につき訴訟を提起することができると結論することはできない。それは同法第五八条第二項において未成年者の契約した労働契約が未成年者に不利であるときには親権者等において之を解除することができる権限を与え、未成年者の自由な権限に任かせていないことに徴して明らかである。

次に未成年者の親権者或いは後見人が民法第八二三条、第八五七条の規定により子が職業を営むことを許可して(本件は審尋の全趣旨に照らして考えるとまさしくこの場合に該当する)一旦第三者との労働契約を介して継続的な労働関係に入つた場合には民法第六条第一項を準用して行為能力を有するに至るのではないかとも考えられるけれども、第六条に謂う「営業」とは商業又は広く営利を目的とする事業に限られるのであるが、「職業」の概念は広く、継続的な業務をいい、営利を目的とすると否とを問わないものであつて営業よりも広い観念である。従つて、民法第八二三条第八五七条により親権を行う者が未成年者に対し職業を営むことを許可したからと言つて直ちに同法第六条の営業を許可したものと言うことはできない。民法第六条は自己の計算において事業をする未成年者に対して成年者と同一の能力を有するものと認めたものであつて、単に他人の計算における事業に労務を提供するに過ぎない労働者の如き者はこれに含まれないと解すべきである従つて本件の申請人の如き未成年労働者は仮令民法第八二三条第八五七条の許可があつたとしても、これをもつて同法第六条の営業の許可のあつたものと認めることはできないから民法第八二三条、第八五七条、第六条を根拠として未成年労働者の訴訟能力を認める論は失当と言うべきである。

以上説明した如く、労使関係において労働契約の解除等に関し、争がある場合之を裁判上訴又は保全処分を通じて争い得るかは之を消極に解すべきであつて、本件も労働契約の合意解除の無効を前提として雇傭関係の存続の確認と就労の権利の宣言を求めるものであるから、申請人は訴訟能力を欠くものであつて結局本件申請は不適法として却下を免れない。勿論本件においては疏乙第四号証により法定代理人たる親権者の追認の得られないことが認められるから、民事訴訟法第五三条の補正命令を発する実益もないものである。

よつて申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 伊藤淳吉 小渕連 水野祐一)

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